|
||||||||
子供に将来なりたい職業を聞き、毎年子供の日にランキングをメディアが報道している。今年平成17年度は初めて動物を扱う職業が上位にランクインした。それほどまでに様々な動物に関する職種が現在巷に存在している。
動物の医師である「獣医師」、動物園の「飼育係」、さらにペット専門の美容師の資格である「トリマー」はよく知られた職種である。この他にも様々なペットに関する職種、そのための資格が存在している。 また「公認訓練士」としての資格は、国が認可する次の団体がそれぞれに認定試験を設け、試験を行っている。
JKCの認定資格は、訓練士補、訓練練士、訓練教士、訓練範士、訓練師範の五段階。 |
||||||||
|
||||||||||
日本は世界的にもかなりのスピードで高齢社会へ突入している。高齢化を推し進めている要因の1つに国内の少子化という人口問題がある。そんな中着々と数を増やしてきたのが、人間の子供ではなくペットという第3の子供である。
上記の図を見ると、おおまかに計算し0歳から14歳までの子供の数が約1,787万人。2050年には0歳から14歳までの子供は約1,066万人なると想定されている。それに対して、現在飼われている犬猫の頭数は約2,516万匹も存在している。 さらに、犬を飼養する世帯の約10%の世帯が単身者であり、猫に関していえば約20%の世帯が単身者だとされている。もちろん単身者には高齢者も存在しているので直接的に少子化の要因であるとは言いがたい。近い将来の話ではなく、すでに子供を目にするより犬や猫を目にすることが多い社会なのかもしれない。 |
|
||
ペットに癒されるという話を昨今よく耳にする。
高齢化が進む日本社会にとって、ペットによる癒しに対する期待は大きい。ペットと生活している単身の高齢者の数も増えつつある。 ただし、アニマル・セラピーには注意しなければならない落とし穴がある。そもそも飼養動物たちは、その生命を完全に人間にゆだねている。高齢者の生きがいになっている反面、飼い主が次第に虚弱になっていったとき、どうするかという問題も存在している。 ペットによる癒しの期待は、止まることを知らず電子ペットにまで及んでいる。 |
|
||||||||
人間同様ペットもこの世に生を得た以上、いつの日か必ず死を迎えなくてはならないという現実がある。飼い主にとっても飼う以上は責任持って死を受け入れる必要がある。ペットを失う悲しみは、肉親を失う悲しみに匹敵することがある。
さらに刑法(143条)「水道により公衆に供給する飲料の浄水又その水源を汚染し、よって使用することができないようにした者は、6ヶ月以上7年以下の懲役に処する」に該当する可能性もある。
ペット葬とは、文字通りペットの葬儀、火葬、納骨、供養について執り行うものである。昨今ではペット専用の火葬車輌が自宅へ来てくれるサービスも登場している。また、人間同様僧侶に読経してもらうなど、ペットに対する思いは人間同様になっている。以下はペット葬のおおまかな流れである。 (※)葬儀…自宅で通夜・葬儀を行ってから動物専用の火葬施設に連れてくる(或いは迎えに来てもらう)ケースもある。また、火葬施設のある敷地内のスペースで僧侶に読経をしてもらうケースも存在している。
ペット動物たちの死亡判断は以下の3種類である。
人間と全く異なる点は、死亡事実の判断を医師に委ねなくとも死亡が確定され、さらに死後24時間以内であっても火葬することが可能な点である。 |
|
|||||
先に述べたように、ペットなどの動物から人に感染する病気が世界中に存在しており、現在の医学でも解明されていないものが多々存在している。主な人獣共通感染症には以下の病名が上げられる。
中でも狂犬病はすべての哺乳類が感染する恐れがあり、1度発症すると死亡する恐れが最も高い人獣共通感染症である。日本においては昭和31年以降発生していない(潜伏している可能性はある)が、全世界では毎年5万人以上の人間や動物が狂犬病で死亡している。海外旅行等で外国へ行った折は、動物への接触は十分に注意する必要性がある。
日本では昭和25年に制定された「狂犬病予防法」により、犬の飼い主は年1回の予防接種を義務付けられている。しかし登録していない犬も国内には存在しており、狂犬病予防接種も100%ではない。また海外から輸入される恐れもあり日本国内でいつ発生してもおかしくないという現状がある。 ペットの輸入の検疫対象はすべての動物ではないので、検疫の対象外のペットが狂犬病にかかっていた場合見逃す危険性もあるとされている。 |
|
||
2005年9月1日より、輸入動物を原因とする人の感染症の発生を防止するため、動物の輸入届出制度が開始されている。届出の対象となる動物は、陸生哺乳類(家畜、犬、猫等を除く)、鳥類(家禽を除く)、ネズミ等およびその死体。これらは、販売や展示のために輸入される動物だけではなく、個人のペットも対象となる。 海外から持ち込まれる動物を規制する動きは、感染症に対する恐怖だけではない。厚生労働省とは別の側面から環境省も取り組んでいる。環境省が取り組んでいる側面は、環境・生態系への配慮である。 @ 天然記念物の鳥 ヤンバルクイナ A アライグマ B 甲虫王者ムシキング 以上のように、海外から持ち込まれる動植物による国内の生態系への被害を防ぐため、2005年6月から『特定外来生物被害防止法』が実施されている。 特定外来生物の指定を受けると、輸入や飼育、野外へ逃がすことが禁止され、必要に応じて駆除も行われる。違反すると、3年以下の懲役か300万円以下の罰金。会社組織が関わる場合には、最高1億円の罰金が科せられる。
現在、中華料理の高級食材である上海ガニ(チュウゴクモクズガニ)、アメリカミンクなど42種類の生物が追加選定されている。(2005年9月現在) |
|
||||||||||
|
昨今、犬猫の殺処分について様々なメディアや動物愛護団体の働きかけにより、行政側も情報を公開するようになった。殺処分の問題点の多くは、飼主の責任によるところが大きい。しかしながら、飼主から安易に引取処分している行政サイドにも疑問を感ずるところである。
グラフを見る限り、殺処分の数は年々減少していく傾向に向かっている様に見えが、依然として43万もの命を殺害している哀しい現実がある。
|
||||||||||
|
||||||
実験動物たちは、様々な実験に使われている。人間が使用しても安全であるかどうかの確認を、最初に動物たちで実験するのである。医薬品、医薬部外品、化粧品、食料品、薬害、致死量、ワクチン開発と様々な用途で使用されている。殺処分に決まった動物たちが最後に生き残る道が実験施設への払下げであった。
現在、行政で殺処分と決まった動物たちの実験施設への払い下げはほとんど廃止となっている。しかし依然として、ごく一部の自治体のみが現在も行っている。 実験動物としてウサギは、鳴かないということで重宝されている。
昨今では、可能な限り動物実験に関しては代替が利用されている。代替とは動物を用いない方法での実験に置き換ることがあり、ヨーロッパから波及し進んでいる。
これらは3Rと呼ばれている。 動物実験に関して全面廃止・撤廃を訴える団体は現在少なくない。しかし動物実験無しに新薬を人間でいきなり試す方法は現状として考えにくい。しかしながら、動物たちの命をもてあそぶ事は推奨される事ではない。その限りない葛藤に嘖まれる。 動物実験により誕生したクローン。クローン動物はこれまで、羊のドリーを初め、マウス、牛、ヤギ、ブタ、ウサギ、猫、馬などで成功している。最近ではアメリカ・韓国の研究チームが、卵子を体外で成熟させるのが難しい犬のクローンを誕生させるのに成功している。日本においては、クローンではないが、盲導犬不足を解消しようと、盲導犬の凍結卵巣を別の雌犬に移植し、繁殖する取り組みが北海道帯広畜産大の研究グループと北海道盲導犬協会によって進められている。 IT media News(http://www.itmedia.co.jp/news)によると、アメリカのGenetic Savings & Clone社(http://savingsandclone.com/)は一般向けにペットのクローン猫を販売している。 |
|
||||||
動物虐待という言葉を耳にしたとき、私は神戸で発生した神戸連続殺人事件の酒薔薇聖斗を頭に思い浮かべる。彼が事件を起こす前兆として、動物を虐待、虐殺していた事があったことを書物で知り絶句したのを覚えている。
上記にあるように、動物を肉体的暴行することだけが動物虐待でないことがわかる。動物虐待の怖い点は、虐待の意識を持たずに、虐待を行っている可能性がある点である。飼主にとってはあたりまえの行為が、動物虐待の可能性を秘めていることすらある。 また、獣医師の西山ゆうこ氏は、
|
|
||
動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)は、動物の虐待防止や適正な取り扱い方などの動物愛護に関する事項、人に対する危害や迷惑の防止などを図るための動物の管理に関する事項を定めた法律である。
|
|
|||||||||||||||||
人間の定住がまだ始まったばかりの、今から約一万年前に人類は家畜を飼い始めたといわれている。初めは捕殺した親ウシの近くにいて離れない子ウシのような動物を連れ帰り、子供の遊び相手にでもしていたのだろうと考えられている。 今、畜産業界への改善要求活動が静かにはじまっている。畜産動物たちへの福祉という観点である。「何をばかげたことを」と思う人は多いであろう。私もその1人であった…畜産動物たちは、人間に食材として提供されるために飼育される。そのため、いかに早く家畜を大きくさせ市場へ出荷させ、なおかつ安定した供給を促す産業である。効率良い収益体制を望み、外国産やブランド産といった食材が競いあう。価格競争が強いられる生産業界である。今、畜産動物の福祉という観点から畜産業界全体に一石が投じられている。 英国では、『ヴィールクレート』と呼ばれる、体の向きが変えられないほど狭い枠でヴィール用子牛を飼育することを1990年に禁止。EU全域では2007年に違法になる。採卵鶏用バタリーケージはEUでは禁止されている。繁殖雌豚用ストール/クレート(体の向きが変えられないほど狭いオリや枠で雌豚を飼育するもの)は英国とスウェーデンでは禁止、フィンランド、オランダも後に続きEU全域に広がりを見せている。この広がりを支えているCIWFという団体が存在している。
|
|||||||||||||||||
|
| 元来、家畜やペットという動物はこの世に存在しなかった。大きな食物連鎖の中に人を含めた動物は、この地球上に同じ生命体として存在している。生命体たちには必ず死が訪れる。生まれた命の数だけ、死は必ずある。 死ぬと、その死は誰かに食べられる。死を食べてほかの生きものがいのちをつなぐ。 生きているから、ほかの生きものに食べられる。死んでしまったら、こんどはほかの生きものに食べられる。 シマウマは、群れがライオンに襲われても、少しも気にかけない。しかしゾウは家族が死ぬと、はっきりと悲しむ様子を見せる。死にそうなゾウを助け起こし、何とか立たせようとする。ついに死んでしまったことがわかると、木の葉や土をかぶせて何日もそばにいて守り続ける。 また、ゾウの死体は滅多に発見されることがない。死ぬ時期がせまったゾウはひとり群れを離れて、どこか秘密の場所で、こっそりと死ぬのではないかと昔から人々に信じられてきた。そのような秘密の場所、ゾウの墓場を多くの人々が探したが発見できなかった。ゾウの墓場を見つけることが出来れば、たくさんの象牙を独り占めにでき、たちまち大金持ちになれる。しかし、ゾウの墓場などは実際には存在しない。ゾウの死体はいったいどうなってしまうのか? 非常に歳をとったり、病気やケガで体が弱ったりして群れと一緒に行動を取れなくなったゾウは、たったひとりで、静かな森の中や、通い慣れた水のみ場に行ってそこで死ぬ。そして死体は腐り、ゾウの骨はもろいので、すぐに崩れて跡形もなくなってしまう。死んだ子ゾウと別れられなくて、死体をつれて歩くゾウも存在する。 チンパンジーはグループを作って生活をしているが、自分たちの縄張りには絶対によそ者を入れさせない。縄張りをオスのチンパンジーが見張って歩き、よそ者を見つけたなら、とことん戦って追い払い、殺すことさえある。しかしチンパンジーの母と子の絆は深い愛情で結ばれている。ジェーン・グルードという動物学者の記録によるとフリントという名の8歳のチンパンジーは、母親の死を悲しみ、3週間後に母親が死んだ同じ場所で死んでいたという。(別の見方もある。いつもついて歩いて同じことをしていればよかった母親が動かなくなって、どうしていいか分からなくなり衰弱死したのではという説) 18世紀の博物学者ステラーは、カイギュウの様子などを書いている。槍がささった仲間から槍を抜いてやろうとした。あるオスは殺された妻の死体から離れられず、何度も戻ってきたという。カイギュウに関する報告を残した学者はステラーの他に存在しない。その後何年もしないうちに、カイギュウは絶滅したからだ。 ライオンやトラが子供を殺すのは珍しくない。グループのボスが交代した時、新しいボスが古いボスの子供を殺して食べてしまうことがある。サメの子供は兄弟同士で殺し合いをする。それもまだ産まれないうちに母親のお腹の中で殺して食べる。 |
|
||
動物も人もこの世に生を得たからには、一生懸命に生き、死んで行く。動物も人も死を迎えた後、肉体の消滅は同じである。
人も動物も肉体の消滅は全く同じである。違いは人間の死体が放置され続けることを人間社会が許さないということだけだ。 |
|
食べられる側の緑色植物を生産者という。光合成(または炭素同化作用)によって太陽光のエネルギーと地中・空中から取り込んだ炭酸ガスや窒素などの無機物を生み出す、いわば無から有を生みだすという意味で、生産者である。 |
|
| 我が者顔で地球上を闊歩している人間ではあるが、地球上に人間以外の動物や植物がいなければ生きていけない存在である。地球上の生物たちとまぎれもなく共存している。 殺処分される動物の問題の原因は、人である。 私は今回の論文を作成するにつれ、犬猫も人も、死んだ後の処理に大差がないように感じた。 「人の死を犬猫と一緒にするな!」と言う人もいるであろうが、火葬され骨になる。また、同じ動物であるがゆえに放置されれば、悪臭を放ち、自然のサイクルの中で自然に還る。 人と他の動物との違いは、社会が異なるだけである。人の社会は、死体が自然に還るまで放置できない社会だというだけのことだ。 私は前回の論文でも述べたように、身元不明遺体に関する公益社内の業務に従事している。 故人の人生を振り返り、語り部となる遺族が存在しない人々を、犬猫と同じだと言っているのではない。当然外見も違えば、社会も違う。何より人であることには間違いない。火葬するための制度もシステムも違う。犬、猫に対する憐れみと、見ず知らずの人の死に対する憐れみは共通しているのでは?と疑問に感じることが多々ある。 ただ大きく異なるのは、人の社会で人を殺処分する時は人の社会が死刑を宣告した時だけであるということだ。 動物の社会での殺処分とは食糧にする時以外にない。食糧のため以外に、同種が殺し合うのもまた人間の社会だけである。 大きな生命体である地球に同じ生を受けるものとして、人間だけが唯一絶対である思い上がりに対する警告が現在はじまっている。BSEに鳥インフルエンザは人獣共通の感染症だ。 環境への地球規模での取り組みは、人間のためにも絶対に必要不可欠であり、他動物の絶滅は因果応報の中では必ず、滅ぼした者たちへと返ってくる。自然界での共同体として歩むことは避けられない。他の生命体を食べなければ、どんな動物も生きていけない。我々はそれを知りつつ生命を日々戴いている。 すべての生命に感謝し、我々の身体に取り込んだ生命と一体となり、環境を守り続ける使命が、一人一人にあるはずであり、責任ある行動をとることが、生涯食す生命体たちへの供養でもあり、食した責任でもある。 |
|
||
序論で私が疑問に感じた警察署内で見かけた犬たち。あの犬をはじめとした迷い動物たちは、遺失物として落し物の扱いで、2週間警察署内で保管される。持ち主である所有者が発見されない場合、2週間後に飼いたいという人がいれば譲渡される。残念ながら貰い手が存在しない場合は、管轄の保健所へ預けられる。
|
|
|
今回の論文作成にあたって、「どうぶつたちへのレクイエム」の作者児玉小枝氏の写真展を訪ねた。 |
|