非合理的葬儀論
〜消費者はなぜ非合理的経済活動を行うのか〜

公益社 世田谷営業所
安 宅 秀 中


 目 次
序 論  
第一章 葬儀前の非合理性
  「消費者は葬儀社を比較しない」
第二章 合理的葬儀社選び
 「紹介に期待してはいけない」
第三章 葬儀価格の非合理性 
  「葬儀屋は儲かる?」
第四章 葬儀価格の非合理性 −祭壇編
 「より高価な祭壇を販売するには」
第五章 葬儀後の非合理性
 「葬儀後の消費者の評価をうのみにしてはいけない」
第六章 合理的?葬儀サービス
 「社員教育は合理的か?」
<まとめ>  


  序 論

 「トレーナー姿ですよ」
  昨年、マーケティングのため友人に頼んで、ある葬儀社へ事前相談に行ってもらった。一時間後戻ってきて、苦笑交じりに発した第一声がこれである。その葬儀社の社員は上下トレーナー姿で応対したらしい。「そんなひどいところに行かせてしまって時間の無駄だったね」と私のねぎらいの言葉に、友人はこう答えた。「施行件数は月間20件程だそうです」
  消費者よ、何でそんなところに依頼する?よく考えなきゃ、が私の最初の感想だが、よく考えてみると私も人のことは言えない。私の父は亡くなる2ヶ月前から意識不明だったが、私が葬儀社の選定を始めたのは父が亡くなってからである。少なくとも私は買い物に行くとき、店に足を運ぶ労力を賃金に換算し、商品価格に上乗せして比較検討をする程度の合理性は持ち合わせている人間である。それがなぜ葬儀という商品を購入するときに限って、こういうことになるのだろうか。
  新古典派経済学は「消費者は合理的に行動する」と仮定している。人々は超合理的超自制的超利己的であり、効用を最大化する経済活動を行うことを前提に議論されている。ただ葬儀を購入する際に限らず、程度の差はあれ現実には人々はいつも合理的な経済活動しているわけではない(これを「限定合理性」と呼ぶ)。そのため「なぜ合理的ではないのか」を分析するために経済学と心理学を組み合わせて生み出されたのが行動経済学である。
  この論文では「葬儀を購入するときだけでなく、購入する前も購入した後も消費者は合理的な判断を行っていない」と仮定し、葬儀を購入する消費者はなぜ合理的判断を行わないのか、どの程度行っていないのか、それに対して葬儀社はどうすべきなのかを、プロスペクト理論をはじめとした行動経済学を使って分析していきたい。
  また、本文中で使われている「非合理」という言葉の定義は、「新古典派経済学でいうところの超合理的ではない」という意味であり、かならずしも「誤っている」という意味ではない。
  特に注釈を付けていない消費者の意識調査に関しては、東京都生活文化局が平成14年に都内の消費者を対象に行ったアンケート結果を使用している(以下本文中で示す消費者の意識に関する調査の図表は全てこのアンケートの結果を使用している)。

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  第一章 葬儀前の非合理性

 まず葬儀社選びの実態を知ってもらうために以下のアンケート結果を見て欲しい。


 家族のための葬儀を準備しているのは50代で35%、60代で50%,70代で67%である。これを多いとするか少ないとするかは意見が分かれるだろう。ただし準備している人の中でも葬儀社や価格を調べているのは、1割ほどである。
 次のデータはどうだろう。

 肉親が亡くなって、そこで出会った病院の葬儀業者に施行を任せるということは、適当にめくった電話帳のページを指差して業者を決めるということに等しい。半数以上が「他に知っている葬儀社が無かったから」という事実を言い換えるなら、「他に1つでも葬儀社を知っているならそこに依頼した可能性が高い」ということである。

 次の資料を見てもらいたい。

 葬儀一式の総額を設定して決めた人は一切を葬儀社任せにした人に比べて60万円ほど低い予算で済んでいる。このデータだけで全てを判断するのは早計だが、一切を葬儀社任せにした人は数十万程度割高な支払いをするリスクがある。1日あれば事前に葬儀社を3社ほど回ることは可能である。その人の1日の労働賃金が60万円以上なら話は別だ。しかし超合理的な人とは言わないまでも、適切な葬儀費用にしたい人ならどう考えても事前の見積りを取るべきである。リスクを減らすのに情報の収集は不可欠である。

 伝統的経済学は「経済主体が全ての利用可能な情報を駆使し、全ての選択肢を検証することにより最適な行動を取る」と考える。それに対して経済学者のハーバートサイモン(1955)は「実際の人間はその知識や計算の能力に限界があるので、最適な解を求める「途中」の段階で自分にとって最低限譲れない基準をクリアするような選択肢で満足してしまう」という仮説(満足化仮説)を唱えた。
  この場合完全に行われた最適化計算から導かれる正しい行動による利益と、完璧な最適化の計算を行うのに伴うコストとの関係が効用の最適化のポイントとなる。例えば、10円安いものを探し求めて半日費やすのは合理的ではない。そのため消費者は判断にかける時間やコストを最小化しようとする。

 消費者が事前に葬儀社間の比較を行わないのには5つの要因がある。
 以下にそれらをあげる。
商品購入、価格決定までのプロセスが通常と異なる。
 通常マーケティング理論で使用される消費者の購買心理プロセスを示すものとしてAIDAモデルというものがある。普段消費者は以下の流れで購入に至る。
A
(attention=注意)広告媒体等で認知を行うことにより
I
(interest=興味)対象に興味を持ち
D
(desire=欲求)欲しいと思い
A
(action=行動)購入する

 これが葬儀という商品になると

D

(欲求、購入動機の発生)家族の入院や医者の告知などで初めて葬儀のことを考える。購入回避はできない=将来の購入確定
A
(注意、認知)葬儀社の存在を意識する
A
(購入)葬儀社に依頼
I
(商品評価)打合せで商品を決める
というDAAIモデルが一般的になってしまう。
 重要なのはDの段階を経ないといくらA(注意、認知)を喚起しても効果が低いという点である。

各社の商品の違いを高い精度で比較検討するのはコストがかかる。次の資料を見てもらいたい。

 見積りを入手しようにも、現実には見積りを作成する業者は65パーセント、言い換えるなら35パーセントの業者は見積りを作らない。論外である。ただしそのようなレベルの低い業者は最初の見積り作成依頼の段階で依頼対象外となるので、選択肢検証のコストの最小化にはつながる。しかしその次の段階の選定となると、各葬儀社ともハード(式場や祭壇)にしてもまったく同じ商品を扱っているわけでもなく、人的サービスのレベルの違いも絡んでくるため単純比較を行うことができない。消費者によって同じ商品の価格を変えて販売し、見積りも作らず寺院からバックマージンを取る最悪の葬祭業者に、自身のセールスポイントを聞いてみるといい。きっと「お客様の気持ちになって・・・」と答えるだろう。こんな状況では事前に消費者はサービスの違いを識別することはできない。情報の非対称性(売り手が買い手より圧倒的に多くの情報を持っていること)が機会主義的行動を引き起こしている(Williamson1980 情報を意図的に操作し、わざと誤って伝えることにより自分の利益を悪賢い方法で追求すること)典型的なモデルである。そのため消費者側が業者間の厳密な比較を行うことは難しい。葬儀社に勤務している筆者でも、業者の上位3割クラスの優劣は識別できない。葬祭ディレクター、資格の有無、ISO認証取得など、サービスに関する判断基準は存在するが、これらの基準が一般に認知されていないせいか、この判断基準を理由に施行依頼を受けた記憶は筆者には殆ど無い。(余談だが現状では葬儀業界の3人に1人は見ただけでレベルが低いと分かる。しかしこういった業者は淘汰されつつあるので、今後は余計サービスの良し悪しを事前に分析しづらくなるだろう)
 つまり「ベストの葬儀社を選ぶ」という完璧な最適化計算を行うのは不可能である。
 次に葬儀社を選ぶという行為そのものが、心理的コスト(ストレスコスト)を発生させる
 日本には言霊という概念がある。言葉を口にしただけで、それが現実化するという思想である。例えば数字の「4」を「し」と呼ぶのを嫌がる。(井沢元彦氏は著作「言霊」で日本人は言ったことが現実化するという言霊の概念を持っているために、危機管理について議論することが苦手であると指摘している)そのような思考形態を持つ民族にとって、いくら遺族が亡くなることが避けられないからといっても、葬儀社を選定するという行為は自分の手で肉親の死を確定させる事に等しい。葬儀社間の比較、事前見積書の作成と、より合理的なリスク回避行動を取れば取るほど心理的コストは増大する。そのため心理的コストと、事前見積りを取らなかったために失う金銭的コストを比較する必要が生じる。これはセイラーの提唱する倫理的消費行動の一種といえる。
 もちろんこのような日本人的な思想を非科学的と考える購買層も存在する。そう考える人々は、信仰心も希薄なことが多く、葬儀自体を執り行わない可能性が高い。事前相談で火葬のみのプランを依頼する人も意外と多い。そして彼らは葬儀単価の低い購買層でもあり、葬儀社側から見ると利益をもたらさない顧客である。
 葬儀社選びを行ったことが関係者に知られた時点で人格的評価を落とすというコストも発生する
 事前相談をした顧客から実際葬儀依頼を受けたとき「家族には事前相談していたことを秘密にしてください」と言われることも多い。
  身辺の問題を先送りすることで精神的安定を得るという利益が発生しているという考え方もできる
 先送りは問題の解決にはならないから精神安定は得られないだろうと合理的な人は言うかもしれない。しかしなぜ借金の穴埋めのために借金をする多重債務者がいるのかを考えれば分かるはずである。精神的安定が不足した人にとっては先送りでも精神的安定を得られるのである。

 そして以下の推論が導き出される。
 満足化仮説(実際の人間はその知識や計算の能力に限界があるので、最適な解を求める「途中」の段階で自分にとって最低限譲れない基準をクリアするような選択肢で満足してしまうという仮説)に基づけば「途中の段階」は、いざという時どこに死亡後の手続きを依頼してよいか分からず困る事態を回避できる状態であり、「最低限譲れない基準をクリアするような選択肢」というのは万一の時の葬儀の依頼先を少なくとも一つ確保するということである。
 結論としては、「特定の(見積りを出す)葬儀社の存在を知っていて、なおかつ葬儀社間の商品の差異まで知ろうとしない」という考え方が行動経済学的にもっとも消費者の効用(満足)を最適化している。

 つまり中身はともかく存在を知られている葬儀社になるのが最も有効なのである。

 上記の点から近代経済学的には非合理な施主の消費者行動も、行動経済学的には説明可能である。

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  第二章 合理的葬儀社選び
  昨年執筆した「式場論」の冒頭を抜粋する。
 「葬儀という商品を購入するとき消費者は正確な判断など行わない。
 なぜなら消費者は『心理的安定』『時間』『情報』の3つの要素を制限されているからである。
 1つ目の『心理的安定の制限』とは、肉親が亡くなり強度のストレスにさらされ、日常であれば当然できるはずの正常な判断ができなくなっている状態のことを指す。
 2つ目は『時間の制限』である。車を衝動買いする人はめったにいない。ところがお葬式というのは亡くなってから数日以内に執り行う。肉親が亡くなってから数時間後には普段めったに使わない額の買い物をしなければならない。つまり決断にタイムリミットが存在するのである。
 3つめは『情報の制限』である。
 肉親のお葬式というのは人生何度もあることではない。そして死を直視する機会はあまりない。本能的に嫌う。その結果消費者は葬儀の流れや価格などの情報をほとんど持っていないというのが現状である。
まず、以上の3つの問題点を認識する事が重要である。」
 いざ、肉親が亡くなってから適切な葬儀社を選ぶことがいかに難しいか分かると思う。
 前章の結論を言い換えると葬儀社の選択においては、事前の消費者とのファーストコンタクトが葬儀社にとって最も重要となる。満足化仮説で説明したように認識の際は明らかなマイナスイメージがないかぎり、○○という葬儀社がどこにあるという認識を持ってもらうだけで十分である。消費者はその業者がどのような商品を持っているかという分析も行わないし、通常他にどのような葬儀社が存在するかという分析も行わない。
 このことを証明する事例を挙げる。
 葬儀業界と同じく「心理的安定」「時間」「情報」の3つの要素が制限されている顧客を持つ業界がある。消費者ローン業界である。いわゆる消費者金融の金利は年利30パーセント弱、銀行系は20パーセント弱である。この違いの詳しい説明は省くが、銀行が「利息制限法」に従い、消費者金融は「出資法」に従っているからである。銀行は資金の調達金利がかからないのでこの金利の設定が可能である。ここで合理的に考える人なら、多少査定基準の違いがあっても銀行系消費者ローンからお金を借りるのが良いと思うはずである。しかし銀行系消費者ローンは苦戦しているのが実態である。顧客は上記の3つの要素が制限されているために消費者が合理的に商品選びをしないのがその理由である。3つ目の「情報」が制限されているというのがピンとこないかもしれないが、こう考えて欲しい。情報を収集する能力のない人(失礼な言い方を許してもらえるならばあまり利口ではない人)はお金に困りやすく消費者ローンの顧客になるのだと。もちろん葬儀の顧客が情報を持っていないのは利口でないからではない。
 そこで銀行はどうしたのか。ひたすら自身の存在を認知させようとしてCMなどの広告を頻繁に流している。他業者との差異よりもまずは認知である。

 広告によるファーストコンタクトの重要性を表す心理的なメカニズムとして初頭効果が挙げられる。
 最初に述べられた特質の方が後に述べられたことよりも評価の過程において大きな影響力を持つ傾向がある。また与えられる情報量が増加すると情報に対する集中力が減少して、後からの情報に大きな注意が払われない。
 ではまず「存在を知られている葬儀社」になるにはどうすればいいのか。まず消費者はどのように葬儀社を知っているのかという点から考察する。過去のデータを交えて情報供給媒体別に分析を行う。
 次頁のグラフはどちらも「何(=情報供給媒体)によってその葬儀社を選んだのか」を表したものである。上段が日本消費者協会の関東エリアのもので、下段が東京のある葬儀社の営業所(以下A社という)のものである。
 事前にこの統計のサンプリングは難しいことを認識する必要がある。まず1点目は葬儀社を知る媒体が複数存在する可能性が大きいこと。2点目は、ファーストコンタクトが1番重要といっても、一部には名前を知っただけでは依頼しない層も存在することである。



 上段の互助会の要素と下段のチラシの要素が異なる以外、各要素のパーセンテージは大変良く似ている。
 まず、広告媒体の一つとしてインターネットについて検証してみる。
 A社のインターネット経由の施行件数の推移は下記の通りである。

  1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年
インターネット経由の
申し込み件数
12

 2003年の調査ではインターネットの世帯普及率は7割を超えているとされている。今後インターネットを使い慣れた世代が、施主となる世代(50代後半)に移行するにつれインターネット経由の葬儀依頼は飛躍的に増加すると思われる。インターネットは先程述べた(物理的な)選択肢検証のコストを最小化するという目的のためには最も有効なツールである。家から出ることも無く、葬儀社の調査をしたことが外部に漏れる心配も無い。施主世代のインターネット人口の増加に伴い、供給側と需要側のハードに関する情報の格差は少なくなると考えてよい。ただしサービスの違いまでも識別することができないのは先程述べた通りである。

 次は「紹介」、「チラシ」、「近所の評判」「リピーター」についてである。

 上記のグラフを見る限りでは施行件数に比例して、紹介以外の各要素の数値は伸びている。
 この各要素に関しては長年の営業活動における累積効果が期待されるはずとは思わないだろうか。
 チラシに関しては過去数年分の広告投下量に関する正確なデータが無いが投下量が年々増加しているのは確かである。ただしD=(欲求、購入動機の発生)家族の入院や医者の告知などで初めて葬儀のことを考える状態が発生していない段階ではA=(注意、認知)葬儀社の存在を意識するプロセスが発生しないため、懸念材料の無い消費者にとってチラシは白紙に等しい。消費者の認知にはチラシ投下量や配布エリアの大小より、長期にわたる定期的な配布が必要である。
 また後半で詳しく述べるが、低価格をアピールした広告を打つことは件数を増加させる反面、単価を抑えたがっている消費者を呼び込むことにつながる。
 リピーター(再度、葬儀依頼をした人)と紹介に関して単年度別に見れば伸びている。しかし施行した顧客が累積していることを考慮して分析するとどうだろうか。

  1998 1999 2000 2001 2002 2003
リピート率
(該当年のリピーター件数÷累積施行件数)
2.0% 1.1% 1.2% 1.9% 2.8% 2.1%
紹介率
(該当年の紹介件数÷累積施行件数)
9.3% 7.5% 7.7% 4.2% 2.2% 2.3%

 リピート率は累積施行件数の2%前後で安定している。今後もこの比率で推移していくはずである。
 累積比に対する紹介率が低下していることは問題である。コトラーが「最も効果的な広告は満足した顧客によってなされる」と述べているにも関わらず、である。考えられる理由の一つは自分の経験した葬儀に良い印象を持たなかったので人には勧めなかったということである。しかし事後の低評価アンケート数の少なさや、リピート率の安定を見る限り、その可能性は低い。都市部においてはプライベートにおける交際範囲が少なくなっていること、いざというときに遺族は第三者の情報を得にくいこと、他者にその葬儀社を勧めたいというロイヤリティ(企業忠誠度)は1年ほどで失われてしまい、累積されない可能性があることなどが原因として考えられる。

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  第三章 葬儀価格の非合理性 

 次に葬儀価格に関する非合理性を考えてみる。
 葬儀費用に関しては消費者よりも葬儀社側の方が幻想を抱いている。
 「安いだけがサービスではない。逆に盛大にやりたい人に対して安価な商品を勧めるのは失礼である」という人がいる。また「葬儀の高級化」の需要を言う人もいる。
 下記のアンケート結果を見て欲しい。

 

 収入に関係なく「お金をかけてでも立派にやりたい」人はほとんどいない。「葬儀を盛大にやりたい人」がいるなど幻想に過ぎない。消費者の意識の上では、以下の様に考えられている。結婚式費用は式場とサービスの対価であるが、葬儀費用は単なるコストであると。葬儀は購買意欲を刺激されて買うものではない。葬儀費用は税金と同じである。強制的な支出とコストのブラックボックスが存在する。余計な料金を過剰に支払ってしまっているというバイアスがつきまとう。(第5章取引効用理論参照)
 「できることなら余計に税金を払いたい人」などいるだろうか。葬儀費用を生活上の不可避のコストと考える人にとって、1円でも切り詰めたいところではないだろうか。全体の流れは親しい人とこぢんまりと行いたい密葬にある。この層は祭壇価格にしても最下層の商品を選びがちである。
 また葬儀費用に対する消費者の感覚は、それほど的外れではないように思える。
 下記の葬儀費用の印象についてのアンケートをご覧いただきたい。

 「どちらともいえない」と答えた人の平均値は171万8600円であり、日本消費者協会のアンケートでは実際の葬儀費用の平均値は175万5000円である。
 一般消費者にも適正価格の情報が浸透しつつある、もしくは業者間の差異が無くなり葬儀料金が適正価格に収斂しつつあるのかもしれない。

 それでも葬儀価格の決定に関しては葬儀社側が有利である。もう一度最初の図を見て欲しい。
 「親しい人とこぢんまりと行いたい」人の次に多いのが「多少のお金はかかっても人並みに行いたい」人である。ただ彼らの「人並み」は消費者センターアンケートの平均価格を目標としたものではない。中流家庭の「中流」に定義が無いのと同じように「人並み」はイメージであり定義はない。葬儀社は各消費者の「人並み」の定義のぶれの中で利益を生み出していく

 ガバイクスとレイブソン(2003)は以下のことを指摘しているが、そのまま葬儀という商品に当てはめることができると思う。
商品が複雑であるほど、消費者の価格に対する反応(弾力性)は小さくなり、結果として高めの価格設定が行われる。(価格弾力性とは価格を変動させたときの販売数量の変化率のことである。商品の差異を意識しやすいものほど価格弾力性は低くなる。価格弾力性が低いと利潤は高くなる。つまり多少値段を上げても消費者は離れていかないということである)
商品が複雑であるほど、市場に参入する企業数が増える一方で、高めの価格は維持される。
競争が激化するほど、企業は商品の複雑性を強める。

  葬祭業を営むものにとっては、価格構成項目はそれほど複雑なものではない。しかし売り手と買い手の情報量に圧倒的な差があるため(情報の非対称性)消費者は結果的に複雑であると感じている。
 これまでその複雑さを利用して業者は利益を上げてきた。つまり葬儀社は消費者の合理性の限界をうまく予測して利益を上げてきたのである。
 第一章のアンケートにもあったように「総額いくら」のどんぶり勘定も一部ではまかり通っているが、一番多いのは個別項目を組み合わせるやり方である。これらの各項目を透明性があるかないか、言い換えれば消費者にとって価格予想が難しいか、予想しやすいかに分けたのが次の図である。

価格予想が難しい 価格予想しやすい
葬儀基本セット 遺影写真
返礼品
ドライアイス 食事
湯灌 供花
エンバーミング 貸衣装
霊柩車  
式場使用料  
外装設備  

 表の左側の価格予想が難しい部分は、日用品と比較することが難しいため、売り手は実質的価値以上の価格設定を行うことが可能である。

 また消費者は金額が大きくなると多少のコストには無頓着になってしまう傾向がある。これはプロスペクト理論(prospect theoryカーネマントとトヴァースキー1979)の「感応度逓減」を使って説明できる。プロスペクト理論は本来、一般的な投資家達の合理的ではない心理状態を解き明かした理論である。以下の図はそのプロスペクト理論を図式化したものである。

 いくつかある法則の中で、重要なのは以下の法則である。「利益や損失の増加量に対するプラスまたはマイナスの価値の増加量は次第に小さくなっていく」これを感応度逓減という。
 これを説明する前に消費者が葬儀という商品をどのように捉えているか(フレーミング)を分析する必要がある。消費者は、以下の様に考える。第一章ので述べたように葬儀は購買意欲を刺激されて買うものではなく、本来購入せずに済むなら買いたくないものである。消費者にとって結婚式の費用はハード(式場など)とサービスの対価であるが、葬儀の費用は単なるコストである。その意味で葬儀費用は税金と同じで家計の「損失」である。つまりプロスペクト関数の図でいうとX<0,Y<0の領域に該当する。この領域のグラフはXの値がマイナスに振れてから急激にY軸の値も下がり始めるが、その先は緩やかなカーブを描いている。

 この現象を分かりやすく例えると、「本来10万円の商品を20万円で買ってしまうと損失感は大きいが、200万円の価値の葬儀が210万円になったところで損失感は少ない」ということである。この感応度逓減も葬儀社の利益を上げるために有利に働いている。

 またコンピューター販売において、消費者がそのメーカーを判断するとき、エントリーモデル(廉価版)におけるスペックと価格のバランスによってブランドイメージが形成されることが分かっている。エントリーモデルがコストパフォーマンスに優れていれば当然ハイエンドモデルも優れているであろうという推論が行われる。このことから葬儀社側にとっては、広告媒体等によって葬儀の最低価格をアピールすることが重要である。もちろん参列者という変動費のパラメーターが存在するため実際価格の単純比較は大変困難である。DAAIモデルにおいて最低価格を提示しA(購入)してもらったのちIの段階で商品単価を上げるという考え方と、標準価格を表示してより上位の顧客を取り込むという二通りの戦略が考えられる。しかし葬儀という商品はほぼ全員が何らかの形で購入しなければならない商品であるため全ての購買層をターゲットにできることを考慮すれば前者の戦略の方が有効である。

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  第四章 葬儀価格の非合理性 
 葬儀における消費者の特徴の一つは商品選択をするとき極端の回避を行わない傾向があることである。

 まず極端の回避(別名:松竹梅モデル)の説明を行う。
 ある電気製品が2種類しかない場合の消費者の購入率は下記の結果だったとする。

  購入率
   
中機能・中価格 50%
低機能・低価格 50%

この商品が3種類になったとき

  購入率
高機能・高価格 20%
中機能・中価格 60%
低機能・低価格 20%

 このような結果になりがちである。3種類以上の商品にしたことで高機能機の高価格と、低機能機のチープ感を生み出してしまった結果である。
 この現象を極端の回避という。

 A社の花祭壇の価格帯とその件数を示した2002年度と2003年度のデータを見て欲しい。
 (花祭壇で示した理由は巻末註1を参照。簡単に説明すると花祭壇は価格に比例して大きさが変わり、花という実生活でも購入する素材を使っているため消費者にとって透明性が高く感じられるからである。)



 この二つのグラフから3点のことが分かる。
花祭壇の件数が増えている
霊安室でのお別れ(祭壇なし)が急増している
ボリュームゾーンは50万、70万、100万円であるが、70万が一番少ない

 本来「極端の回避」効果で50万、70万、100万円のボリュームゾーンにおいて70万円が多くなることが予想されるが、現実はそうではない。

 次は花祭壇と白木祭壇の件数を価格帯別に併記したデータである。

 このグラフから分かることは
低価格を希望する層は白木祭壇なら30万円を選択するが、花祭壇という(消費者にとって分かりやすい)付加価値をつければ50万円支払う
高価格帯になるにつれて白木祭壇より花祭壇の需要が高まる

 以上のことから導かれる結論は
 分かりやすい価格体系なら高価格な物でも購入するということである。
 白木祭壇も金額と価値にもっと関連性があるのなら100万円の価格帯はもう少し増えるはずである。

 以下のデータでこの事実を補足する。
 事前相談者の葬儀総費用と非事前相談者の葬儀総費用を比べると以下のようになる。(ただし事前相談の有無は毎回データを取ったものではない。筆者が担当した喪家に限定する。またシミュレーションを行い、総額を詳細に計算したレベルから単に見積り例を挙げて説明したレベルまであるが、その全てを含むものとする。)

事前相談者の方が非事前相談者より葬儀総費用が若干高い
事前相談者の価格分布は標準値からの乖離がプラス、マイナスともに大きい

 消費者側から見て葬儀費用には二つのリスクが存在する。会葬者数が予測できないことによる変動費(返礼品、食事)のリスクと、祭壇等の価格に対する情報が不足しているリスクである。
 事前相談者は非事前相談者に比べ後者のリスクを事前に低減しているため、非事前相談者に比べて出費しやすいと考えられる。そのためのような結果となった。
 の低価格者層が多くなるのは、最も安い価格で求める効用を最大限にすることができる事前相談という合理的行動をとるためである。
 また透明性のある広告を打って件数を増加させた反面、極力単価を抑えたがっている消費者を呼び込んだ結果と言える。

 今後もっと透明性を高めるなら葬儀基本価格内の祭壇価格(ハード)と人件費(ソフト)を分離させる試みはどうだろう。基本価格(祭壇+人件費)が葬儀費用のブラックボックスであり、高収益の中心であることは近年マスコミにより指摘されている。別に高収益が悪いわけではない。ただ「透明性」というキーワードで今後の方向性が語られているなら、将来的にそのブラックボックスに競争力はあるか?という話である。
 確かに大きな祭壇だから人件費もたくさんかかるというのは一見もっともである。しかしどこの葬儀社もボリュームゾーンの祭壇価格帯(30万から100万)の祭壇設営・撤去にかかる労力というのはほとんど変わらない。むしろ葬儀スタッフの人件費(≒労働量)は葬儀基本価格ではなく参列者数に比例する。それに加えて担当者の拘束時間(死亡してから出棺日までの日数)で決定される。もちろんそれ以外に管理系、サポート系スタッフの人件費も関係してくるのだが、祭壇の大きさでなく参列者数に連動させたほうが消費者は納得し易いのではないか。

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  第五章 葬儀後の非合理性
 消費者は終わった葬儀を合理的に評価しているとは言いがたい。基本的に評価は甘くなりがちであり、悪い評価の時はかなり立腹していると言ってよい。たとえば5段階評価で事後アンケートをとったなら5と4が9割、残り1割が1と言う評価になるはずである。
 終わった葬儀の評価に対するずれは
 認知不協和(Cognitive dissonance L・フェスティンガー1957)の回避行動と3章で述べたプロスペクト理論で説明できる。
 認知不協和とは自分が信じていたことと現実が食い違うときに精神的苦痛を感じることであり、人はそれを回避する行動を取ろうとする。葬儀は人生に1、2度しかない高価な買い物である。その買い物が失敗だったと認めることは大きな苦痛を伴う。そのためにこれはいい買い物であったと自分を信じ込ませようとする心の動きが起こる。
 アイアコッカは自伝の中でセールスマン時代のエピソードを紹介している。「Aさんに車を買ってもらったら、友人のBさんを紹介してもらう。Bさんは車の印象をAさんに聞く。Aさんは自分の買い物が成功だったと言いたいがため、Bさんには車のいいところしか言わない。その結果Bさんにも車を売ることができる」

 もう一度第三章のプロスペクト理論の図を見て欲しい。

 

 いくつかある法則うち、この章で重要なのは以下の部分である。「評価の起点となる参照点(リファレンスポイント)は絶対的な基点ではなく、顧客の期待を基準に成立する。」同じ利益、損失であってもその判断者がどこに価値基準を置くかによってその商品の評価は変わる。
 以前に葬儀を経験した消費者はその評価がリファレンスポイントとなる。経験していない人はリファレンスポイントをほとんど決定できないか、もしくはマスコミ等で報道されている葬儀社へのマイナスイメージ(葬儀は高い、葬儀社のモラルは低い)を基に決定する。つまり実態よりもかなり緩めのリファレンスポイントの初期設定が行われることになる。プロスペクト理論では商品価値がマイナス領域に入ると損失感は(利益感に比べ)倍増すると考える。人生で1、2度の高額な買い物がプロスペクト理論上マイナスに入っていると認めることは大きな精神的苦痛を伴う。そのためリファレンスポイントを意識的にさらに(葬儀社にとって)甘めにずらす。

 実体験として確かに遺族の葬儀に対する評価は甘めである。その一方で致命的ミスがあると、バリューが大きくマイナス方向に振れ、強いクレームになりやすい。この結果、過剰に甘い評価とごく一部の強いクレームを生み、コンプレインが出にくいという弊害を生んでいるように思われる。(補足 コンプレインとクレームの違いについて:不平や不満、改善の希望がコンプレイン、返金等要求や強い主張を持ったものがクレーム)これは本来5段階評価の「2」や「3」が、「4」や「5」になってしまうということである。そして本来「3」と評価されるべき評価項目にこそ業務改善のポイントが潜んでいる。(上記で述べたように「1」の評価の時、顧客はかなり立腹しているのでよほどのことが無い限り改善点には気づくはずである。)「5」だからと言って安心してはいけない。
 本当に現実的な改善希望を葬儀社は十分に吸収できていないのである。

 「葬儀が終わってからの、葬儀価格についての評価」の特徴は次の2点である。1点目は葬儀のサービスに対する評価は良くても葬儀費用に対する評価が良くないことがあり得る事実である。
 2点目は葬儀費用に対する印象(高い、安い)は実際の平均価格を基準とした葬儀費用の高低には関係ないということである。
 これらの評価は取引効用理論(R.セイラー)を使って説明できる。
 取引効用理論とは
  顧客が製品を購入して得られる効用=製品それ自体からの効用+取引からの効用―支払い価格
 というものである。分かりやすく言えば必需品と思われるものには過剰に支出するが、贅沢品には実体に即した価格であっても財布の紐がきつくなるということである。
 葬儀は人が亡くなれば絶対必要なものであるから、葬儀を行う上で、最低限必要な項目に対しては違和感なく出費するが、平均以上の出費(高価な祭壇等)に対しては実体よりも過剰な贅沢品であるという認識を持ちやすい。もちろんその線引きは個々の消費者の金銭感覚等で決定されたリファレンスポイントによってなされる。そのため葬儀の内容(ハードやサービス)に対する評価と、価格に関する評価は連動しないことが多い。また葬儀平均価格を基準にして消費者の葬儀費用に対する印象を論じることはできない。

 葬儀後にも、消費者が敢えて合理的選択をせず、倫理的消費行動を起こすケースがある。
 葬儀業界には葬儀だけでなく葬儀が終わってからのマーケットが存在する。香典のお返し物、墓、仏壇などである。関東では葬儀が終わった直後にデパート系を初めとして10社以上のギフト業者からお返し物のパンフレットが送られてくる。その結果消費者は商品(お返し物)に対して十分な情報を得る。購入期日は2ヶ月ほど先なので、時間に追われることも無い。扱っている商品の質はほとんど差が無い。お歳暮などで実際の購入体験も持っているはずだ。合理的判断を行うならブランドを最重視する層は百貨店系、価格を最重視する層は割引率の高いギフト業者を選ぶはずである。しかし実際は、葬儀を依頼した葬儀社に依頼するケースが多い。葬儀社の返礼用商品だけをみるならブランド力、割引率共に他社に比べて競争力は低い。消費者は時間的余裕を持っているので十分な情報を得て冷静に選んでいるはずである。なぜ葬儀社に依頼するのか。関東に多い傾向であるが、葬儀のサービスに好感を持った場合、不利な条件でもお返し物を依頼することが粋であると考えるからである。粋な気分になれるという効用が実際以上に商品価値を高めていると言える。関西では低価格な商品を選ぶことを知恵として、大きな価値を見出すのでこのような現象は起こりづらい。

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  第六章 合理的?葬儀サービス

 ここで少し脱線して葬祭サービスについての私見を述べさせてもらいたい。
 葬儀社にとって一番大事なものは「人材」だと言われる。それは正しい。しかし葬祭業者が人材を育てるために、スキルの向上を目的として必要以上に教育にコストをかけるのは非合理的である。
 これまで述べてきたように消費者は葬儀社の細かい分析はせず、葬儀に対する評価は甘い。リピーターは何年先に依頼してくれるのか分からない。そのためクレームを発生させないサービスレベルなら売り上げに殆ど関係ない。だから冒頭で述べたようなトレーナー姿の業者が成立する。総合的に判断すると、遺族からクレームの出ないレベルのサービスの段階で、サービスの向上をやめておくというのが理論上葬儀社にとっての合理的選択ということだ。もちろんクレームが出ないレベルと簡単に言ったがそのレベルに達するのはなかなか大変ではある。それにはスキルが必要だ。だが後で述べるが葬儀社の人材に本当に必要なものはスキルではない。
 葬儀社のコストで最も多くを占めるのは「人材」である。まず初期投資(スキルの習得)にコストがかかる。一人前になるまでコストをかけたにもかかわらず、葬儀の現場は精神的肉体的に長く勤務しづらい労働環境にある。人材の長期確保は難しい。逆にいえば、長期的に安定してサービスを供給できる人材を確保できれば、葬儀社のコストを抑えることにつながる。
 長期的で安定したサービスの供給できる人材に必要なのは、スキルではなく、ホスピタリティ(心遣い、もてなし)の才能と体力である。ホスピタリティが無いと葬儀サービスを供給する意味を個人レベルで見失う。体力が無いと疲労が溜まり、サービスの質が落ちる。
 体力の獲得方法は一般に認知されているが、ホスピタリティを習得するにはどうしたらよいのか。異論はあるかと思うが、ホスピタリティというのは、スキル(技術)で形成されるものではなく、タレント(才能)である。例えば顧客にちょっと難しいリクエストをされたとき「面倒だ」と思うか、「腕の見せ所」と思うかは教育によって培われるものではない。タレントの無い者に社員教育によってそれを与えることはできない。百歩譲って教育によってホスピタリティを与えることができたとしても、企業は更正施設ではない。そのような教育にコストをかけるのは割に合わない。逆にホスピタリティを持つ者は、教育しなくても自分からスキルを求めるはずである。つまり社員の選抜の段階でホスピタリティを持った人材を採用するのが最も合理的である。
 私の周りで遺族から高い評価を得ている人は、合理的に見て、非合理的なサービスを提供する人である。彼らは会社から言われてするのではなく、何らかの具体的な利益を生み出すわけでもないのに自分の欲求に従い良いサービスを提供している。つまり何より大切なことはホスピタリティがあってより良いサービスを供給する人間は「合理性」など考えない「非合理な人々」であるということだ。一見非合理な人々の存在が長期的で安定的な人材の確保につながる。その結果、施主よりもっと「非合理」な集団であることが葬儀社にとって最も「合理的」であるという禅問答のような結論になる。

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  <まとめ>
 最近コンプライアンス(法令順守)という言葉を聞く機会が増えた。正しい行いをして利益を得るのが企業の本来あるべき姿である。透明性を高めれば、葬儀社の利益は減ってしまうかもしれないが、マーケットシェアは高まり競争力はつくというのが理論上正しい姿である。
 しかし市場は透明性を高めたことを正当に評価するのか。葬儀社側も市場(=消費者)の合理性に半信半疑だったのではないだろうか。この論文は消費者の合理性に限界があることを示した。
 つまり消費者の情報が不十分で、葬儀社が地域に密着していた時代は、不透明な構造の葬儀社でも高収益を見込むことができ、戦略上合理的だったのである。

 祭壇設営業が確立したのが1950年頃、葬儀社が祭壇設営業から葬儀運営サービスに移行したのが1970年頃、会館の設立ラッシュが1990年頃である。
 そして現在「葬儀社の淘汰」が起こりつつある。これは同時に「消費者の選択」の結果でもある。
 以前なら資産運用は銀行預金だけでも良かったが、今後日本経済がインフレに転じた場合、預金資産が目減りを起こすリスクがある。それがいやなら、情報を集め、ある程度のリスクをとって資産を運用しなければならない。「今までどおり銀行預金をしていたら損をした。何とかしろ」というクレームは通らない。「だめな株を買って損をした」というクレームも通らない。消費者自身が責任を持つべきである。
 葬儀社選びも資産運用と同じである。
 消費者の合理的選択が難しいと分かっていて敢えて言う。
 冒頭で述べたように間違った葬儀社はいる。「間違った葬儀社を選んで損をした」と言うのは自由だ。しかしその損失は消費者の責任と考えるべきである。
 なぜなら間違った葬儀社を駆逐する方法は、消費者が正しい葬儀社を選択する以外にないのだから。  

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(註1:「式場論」から抜粋)
 祭壇価格は葬儀費用に占める割合も高く、利益率も高いので対費用効果が大きく表われる。
  一方で祭壇価格ではなく葬儀費用全体と会葬者の相関関係を調べる方法も考えられる。返礼品項目と食事代は参列者の人数に比例する変動費であり葬儀費用に占める比率も大きい(通常総費用の半分ぐらいだろうか)。よって人数が多ければ当然葬儀費用も比例して多くなる。しかし返礼品項目と食事代に大きな影響を与える参列者の数を遺族側で厳密にコントロールするのは難しい。なぜなら現実には家族以外の関係者に知らせるか知らせないかの二者択一であり、外部の一部の関係者のみ知らせるというような情報の制限を行うのは難しいからである。
 よって変動費を遺族側でコントロールするのは難しいということは、葬儀費用全体は遺族側の希望の予算を正確に反映させているとは必ずしも言えない。
 逆に祭壇費用は固定費であり葬儀費用の中で大きな比率を占めながらも遺族の意思が反映される。よって葬儀の様式または葬儀費用に対する考え方(とにかく安くというのも様式のひとつと考えられるが)と参列者数との相関関係を捉えやすいと考えた。
 花祭壇は祭壇価格が祭壇の大きさに直接反映する。理論上100万の花祭壇は50万の花祭壇の2倍の大きさである。ただし30万以下になると花祭壇の大きさが棺の大きさより小さくなるのでデータ上も依頼件数は少ない。よってある程度資金力のある人(目安としては東京の平均葬儀予算240万円をかけられる人)にとって花祭壇は白木祭壇よりも消費者の嗜好もしくは投資可能な予算がはっきり出る。(白木祭壇は高額になるほど祭壇の大きさの増加率が鈍る為、祭壇投資意欲を削いでいる可能性が有る。つまり白木祭壇の場合、本当はもう少しお金を出せるがこのあたりで十分と考えてしまう。)


〈参考文献〉 
「行動経済学入門」    (2003)多田 洋介 日本経済新聞社
「最強のファイナンス理論」(2003)真壁 昭夫 講談社現代新書
「入門価格理論」     (1988)倉澤 資成 日本評論社
「超文章法」       (2002)野口悠紀雄 中公文庫
「得する生活」      (2003)橘 玲   幻冬舎
「コトラーのマーケティング・コンセプト」(2003)フィリップ・コトラー 東洋経済新報社
公益社 営業システム
東京都生活文化局ホームページ

Special thanks to
(株)公益社 葬祭研究所 スタッフ
(株)公益社 世田谷営業所 スタッフ
過去施行依頼を頂いた御遺族の皆様
この論文のために入籍日を延ばしてくれた妻へ

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