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| 目 次 | |
| 序 論 | |
| 第一章 | 葬儀前の非合理性 「消費者は葬儀社を比較しない」 |
| 第二章 | 合理的葬儀社選び 「紹介に期待してはいけない」 |
| 第三章 | 葬儀価格の非合理性 「葬儀屋は儲かる?」 |
| 第四章 | 葬儀価格の非合理性 「より高価な祭壇を販売するには」 |
| 第五章 | 葬儀後の非合理性 「葬儀後の消費者の評価をうのみにしてはいけない」 |
| 第六章 | 合理的?葬儀サービス 「社員教育は合理的か?」 |
| <まとめ> | |
序 論 |
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「トレーナー姿ですよ」 |
第一章 葬儀前の非合理性 |
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まず葬儀社選びの実態を知ってもらうために以下のアンケート結果を見て欲しい。
家族のための葬儀を準備しているのは50代で35%、60代で50%,70代で67%である。これを多いとするか少ないとするかは意見が分かれるだろう。ただし準備している人の中でも葬儀社や価格を調べているのは、1割ほどである。
肉親が亡くなって、そこで出会った病院の葬儀業者に施行を任せるということは、適当にめくった電話帳のページを指差して業者を決めるということに等しい。半数以上が「他に知っている葬儀社が無かったから」という事実を言い換えるなら、「他に1つでも葬儀社を知っているならそこに依頼した可能性が高い」ということである。 次の資料を見てもらいたい。
葬儀一式の総額を設定して決めた人は一切を葬儀社任せにした人に比べて60万円ほど低い予算で済んでいる。このデータだけで全てを判断するのは早計だが、一切を葬儀社任せにした人は数十万程度割高な支払いをするリスクがある。1日あれば事前に葬儀社を3社ほど回ることは可能である。その人の1日の労働賃金が60万円以上なら話は別だ。しかし超合理的な人とは言わないまでも、適切な葬儀費用にしたい人ならどう考えても事前の見積りを取るべきである。リスクを減らすのに情報の収集は不可欠である。 伝統的経済学は「経済主体が全ての利用可能な情報を駆使し、全ての選択肢を検証することにより最適な行動を取る」と考える。それに対して経済学者のハーバートサイモン(1955)は「実際の人間はその知識や計算の能力に限界があるので、最適な解を求める「途中」の段階で自分にとって最低限譲れない基準をクリアするような選択肢で満足してしまう」という仮説(満足化仮説)を唱えた。 消費者が事前に葬儀社間の比較を行わないのには5つの要因がある。
これが葬儀という商品になると
重要なのはDの段階を経ないといくらA(注意、認知)を喚起しても効果が低いという点である。
見積りを入手しようにも、現実には見積りを作成する業者は65パーセント、言い換えるなら35パーセントの業者は見積りを作らない。論外である。ただしそのようなレベルの低い業者は最初の見積り作成依頼の段階で依頼対象外となるので、選択肢検証のコストの最小化にはつながる。しかしその次の段階の選定となると、各葬儀社ともハード(式場や祭壇)にしてもまったく同じ商品を扱っているわけでもなく、人的サービスのレベルの違いも絡んでくるため単純比較を行うことができない。消費者によって同じ商品の価格を変えて販売し、見積りも作らず寺院からバックマージンを取る最悪の葬祭業者に、自身のセールスポイントを聞いてみるといい。きっと「お客様の気持ちになって・・・」と答えるだろう。こんな状況では事前に消費者はサービスの違いを識別することはできない。情報の非対称性(売り手が買い手より圧倒的に多くの情報を持っていること)が機会主義的行動を引き起こしている(Williamson1980 情報を意図的に操作し、わざと誤って伝えることにより自分の利益を悪賢い方法で追求すること)典型的なモデルである。そのため消費者側が業者間の厳密な比較を行うことは難しい。葬儀社に勤務している筆者でも、業者の上位3割クラスの優劣は識別できない。葬祭ディレクター、資格の有無、ISO認証取得など、サービスに関する判断基準は存在するが、これらの基準が一般に認知されていないせいか、この判断基準を理由に施行依頼を受けた記憶は筆者には殆ど無い。(余談だが現状では葬儀業界の3人に1人は見ただけでレベルが低いと分かる。しかしこういった業者は淘汰されつつあるので、今後は余計サービスの良し悪しを事前に分析しづらくなるだろう) そして以下の推論が導き出される。 上記の点から近代経済学的には非合理な施主の消費者行動も、行動経済学的には説明可能である。 |
第二章 合理的葬儀社選び |
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昨年執筆した「式場論」の冒頭を抜粋する。 「葬儀という商品を購入するとき消費者は正確な判断など行わない。 なぜなら消費者は『心理的安定』『時間』『情報』の3つの要素を制限されているからである。 1つ目の『心理的安定の制限』とは、肉親が亡くなり強度のストレスにさらされ、日常であれば当然できるはずの正常な判断ができなくなっている状態のことを指す。 2つ目は『時間の制限』である。車を衝動買いする人はめったにいない。ところがお葬式というのは亡くなってから数日以内に執り行う。肉親が亡くなってから数時間後には普段めったに使わない額の買い物をしなければならない。つまり決断にタイムリミットが存在するのである。 3つめは『情報の制限』である。 肉親のお葬式というのは人生何度もあることではない。そして死を直視する機会はあまりない。本能的に嫌う。その結果消費者は葬儀の流れや価格などの情報をほとんど持っていないというのが現状である。 まず、以上の3つの問題点を認識する事が重要である。」 いざ、肉親が亡くなってから適切な葬儀社を選ぶことがいかに難しいか分かると思う。 前章の結論を言い換えると葬儀社の選択においては、事前の消費者とのファーストコンタクトが葬儀社にとって最も重要となる。満足化仮説で説明したように認識の際は明らかなマイナスイメージがないかぎり、○○という葬儀社がどこにあるという認識を持ってもらうだけで十分である。消費者はその業者がどのような商品を持っているかという分析も行わないし、通常他にどのような葬儀社が存在するかという分析も行わない。 このことを証明する事例を挙げる。 葬儀業界と同じく「心理的安定」「時間」「情報」の3つの要素が制限されている顧客を持つ業界がある。消費者ローン業界である。いわゆる消費者金融の金利は年利30パーセント弱、銀行系は20パーセント弱である。この違いの詳しい説明は省くが、銀行が「利息制限法」に従い、消費者金融は「出資法」に従っているからである。銀行は資金の調達金利がかからないのでこの金利の設定が可能である。ここで合理的に考える人なら、多少査定基準の違いがあっても銀行系消費者ローンからお金を借りるのが良いと思うはずである。しかし銀行系消費者ローンは苦戦しているのが実態である。顧客は上記の3つの要素が制限されているために消費者が合理的に商品選びをしないのがその理由である。3つ目の「情報」が制限されているというのがピンとこないかもしれないが、こう考えて欲しい。情報を収集する能力のない人(失礼な言い方を許してもらえるならばあまり利口ではない人)はお金に困りやすく消費者ローンの顧客になるのだと。もちろん葬儀の顧客が情報を持っていないのは利口でないからではない。 そこで銀行はどうしたのか。ひたすら自身の存在を認知させようとしてCMなどの広告を頻繁に流している。他業者との差異よりもまずは認知である。 広告によるファーストコンタクトの重要性を表す心理的なメカニズムとして初頭効果が挙げられる。
上段の互助会の要素と下段のチラシの要素が異なる以外、各要素のパーセンテージは大変良く似ている。
2003年の調査ではインターネットの世帯普及率は7割を超えているとされている。今後インターネットを使い慣れた世代が、施主となる世代(50代後半)に移行するにつれインターネット経由の葬儀依頼は飛躍的に増加すると思われる。インターネットは先程述べた(物理的な)選択肢検証のコストを最小化するという目的のためには最も有効なツールである。家から出ることも無く、葬儀社の調査をしたことが外部に漏れる心配も無い。施主世代のインターネット人口の増加に伴い、供給側と需要側のハードに関する情報の格差は少なくなると考えてよい。ただしサービスの違いまでも識別することができないのは先程述べた通りである。 次は「紹介」、「チラシ」、「近所の評判」「リピーター」についてである。
上記のグラフを見る限りでは施行件数に比例して、紹介以外の各要素の数値は伸びている。
リピート率は累積施行件数の2%前後で安定している。今後もこの比率で推移していくはずである。 |
第三章 葬儀価格の非合理性 |
次に葬儀価格に関する非合理性を考えてみる。
収入に関係なく「お金をかけてでも立派にやりたい」人はほとんどいない。「葬儀を盛大にやりたい人」がいるなど幻想に過ぎない。消費者の意識の上では、以下の様に考えられている。結婚式費用は式場とサービスの対価であるが、葬儀費用は単なるコストであると。葬儀は購買意欲を刺激されて買うものではない。葬儀費用は税金と同じである。強制的な支出とコストのブラックボックスが存在する。余計な料金を過剰に支払ってしまっているというバイアスがつきまとう。(第5章取引効用理論参照)
「どちらともいえない」と答えた人の平均値は171万8600円であり、日本消費者協会のアンケートでは実際の葬儀費用の平均値は175万5000円である。 それでも葬儀価格の決定に関しては葬儀社側が有利である。もう一度最初の図を見て欲しい。 ガバイクスとレイブソン(2003)は以下のことを指摘しているが、そのまま葬儀という商品に当てはめることができると思う。
葬祭業を営むものにとっては、価格構成項目はそれほど複雑なものではない。しかし売り手と買い手の情報量に圧倒的な差があるため(情報の非対称性)消費者は結果的に複雑であると感じている。
表の左側の価格予想が難しい部分は、日用品と比較することが難しいため、売り手は実質的価値以上の価格設定を行うことが可能である。 また消費者は金額が大きくなると多少のコストには無頓着になってしまう傾向がある。これはプロスペクト理論(prospect theoryカーネマントとトヴァースキー1979)の「感応度逓減」を使って説明できる。プロスペクト理論は本来、一般的な投資家達の合理的ではない心理状態を解き明かした理論である。以下の図はそのプロスペクト理論を図式化したものである。
いくつかある法則の中で、重要なのは以下の法則である。「利益や損失の増加量に対するプラスまたはマイナスの価値の増加量は次第に小さくなっていく」これを感応度逓減という。
この現象を分かりやすく例えると、「本来10万円の商品を20万円で買ってしまうと損失感は大きいが、200万円の価値の葬儀が210万円になったところで損失感は少ない」ということである。この感応度逓減も葬儀社の利益を上げるために有利に働いている。 またコンピューター販売において、消費者がそのメーカーを判断するとき、エントリーモデル(廉価版)におけるスペックと価格のバランスによってブランドイメージが形成されることが分かっている。エントリーモデルがコストパフォーマンスに優れていれば当然ハイエンドモデルも優れているであろうという推論が行われる。このことから葬儀社側にとっては、広告媒体等によって葬儀の最低価格をアピールすることが重要である。もちろん参列者という変動費のパラメーターが存在するため実際価格の単純比較は大変困難である。DAAIモデルにおいて最低価格を提示しA(購入)してもらったのちIの段階で商品単価を上げるという考え方と、標準価格を表示してより上位の顧客を取り込むという二通りの戦略が考えられる。しかし葬儀という商品はほぼ全員が何らかの形で購入しなければならない商品であるため全ての購買層をターゲットにできることを考慮すれば前者の戦略の方が有効である。 |
第四章 葬儀価格の非合理性 |
| 葬儀における消費者の特徴の一つは商品選択をするとき極端の回避を行わない傾向があることである。
まず極端の回避(別名:松竹梅モデル)の説明を行う。
この商品が3種類になったとき
このような結果になりがちである。3種類以上の商品にしたことで高機能機の高価格と、低機能機のチープ感を生み出してしまった結果である。 A社の花祭壇の価格帯とその件数を示した2002年度と2003年度のデータを見て欲しい。
この二つのグラフから3点のことが分かる。
本来「極端の回避」効果で50万、70万、100万円のボリュームゾーンにおいて70万円が多くなることが予想されるが、現実はそうではない。 次は花祭壇と白木祭壇の件数を価格帯別に併記したデータである。 このグラフから分かることは
以上のことから導かれる結論は 以下のデータでこの事実を補足する。
消費者側から見て葬儀費用には二つのリスクが存在する。会葬者数が予測できないことによる変動費(返礼品、食事)のリスクと、祭壇等の価格に対する情報が不足しているリスクである。 今後もっと透明性を高めるなら葬儀基本価格内の祭壇価格(ハード)と人件費(ソフト)を分離させる試みはどうだろう。基本価格(祭壇+人件費)が葬儀費用のブラックボックスであり、高収益の中心であることは近年マスコミにより指摘されている。別に高収益が悪いわけではない。ただ「透明性」というキーワードで今後の方向性が語られているなら、将来的にそのブラックボックスに競争力はあるか?という話である。 |
第五章 葬儀後の非合理性 |
| 消費者は終わった葬儀を合理的に評価しているとは言いがたい。基本的に評価は甘くなりがちであり、悪い評価の時はかなり立腹していると言ってよい。たとえば5段階評価で事後アンケートをとったなら5と4が9割、残り1割が1と言う評価になるはずである。 終わった葬儀の評価に対するずれは 認知不協和(Cognitive dissonance L・フェスティンガー1957)の回避行動と3章で述べたプロスペクト理論で説明できる。 認知不協和とは自分が信じていたことと現実が食い違うときに精神的苦痛を感じることであり、人はそれを回避する行動を取ろうとする。葬儀は人生に1、2度しかない高価な買い物である。その買い物が失敗だったと認めることは大きな苦痛を伴う。そのためにこれはいい買い物であったと自分を信じ込ませようとする心の動きが起こる。 アイアコッカは自伝の中でセールスマン時代のエピソードを紹介している。「Aさんに車を買ってもらったら、友人のBさんを紹介してもらう。Bさんは車の印象をAさんに聞く。Aさんは自分の買い物が成功だったと言いたいがため、Bさんには車のいいところしか言わない。その結果Bさんにも車を売ることができる」 もう一度第三章のプロスペクト理論の図を見て欲しい。
いくつかある法則うち、この章で重要なのは以下の部分である。「評価の起点となる参照点(リファレンスポイント)は絶対的な基点ではなく、顧客の期待を基準に成立する。」同じ利益、損失であってもその判断者がどこに価値基準を置くかによってその商品の評価は変わる。 実体験として確かに遺族の葬儀に対する評価は甘めである。その一方で致命的ミスがあると、バリューが大きくマイナス方向に振れ、強いクレームになりやすい。この結果、過剰に甘い評価とごく一部の強いクレームを生み、コンプレインが出にくいという弊害を生んでいるように思われる。(補足 コンプレインとクレームの違いについて:不平や不満、改善の希望がコンプレイン、返金等要求や強い主張を持ったものがクレーム)これは本来5段階評価の「2」や「3」が、「4」や「5」になってしまうということである。そして本来「3」と評価されるべき評価項目にこそ業務改善のポイントが潜んでいる。(上記で述べたように「1」の評価の時、顧客はかなり立腹しているのでよほどのことが無い限り改善点には気づくはずである。)「5」だからと言って安心してはいけない。 「葬儀が終わってからの、葬儀価格についての評価」の特徴は次の2点である。1点目は葬儀のサービスに対する評価は良くても葬儀費用に対する評価が良くないことがあり得る事実である。 葬儀後にも、消費者が敢えて合理的選択をせず、倫理的消費行動を起こすケースがある。 |
第六章 合理的?葬儀サービス |
ここで少し脱線して葬祭サービスについての私見を述べさせてもらいたい。 |
<まとめ> |
| 最近コンプライアンス(法令順守)という言葉を聞く機会が増えた。正しい行いをして利益を得るのが企業の本来あるべき姿である。透明性を高めれば、葬儀社の利益は減ってしまうかもしれないが、マーケットシェアは高まり競争力はつくというのが理論上正しい姿である。 しかし市場は透明性を高めたことを正当に評価するのか。葬儀社側も市場(=消費者)の合理性に半信半疑だったのではないだろうか。この論文は消費者の合理性に限界があることを示した。 つまり消費者の情報が不十分で、葬儀社が地域に密着していた時代は、不透明な構造の葬儀社でも高収益を見込むことができ、戦略上合理的だったのである。 祭壇設営業が確立したのが1950年頃、葬儀社が祭壇設営業から葬儀運営サービスに移行したのが1970年頃、会館の設立ラッシュが1990年頃である。 |
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(註1:「式場論」から抜粋) |
| 〈参考文献〉 「行動経済学入門」 (2003)多田 洋介 日本経済新聞社 「最強のファイナンス理論」(2003)真壁 昭夫 講談社現代新書 「入門価格理論」 (1988)倉澤 資成 日本評論社 「超文章法」 (2002)野口悠紀雄 中公文庫 「得する生活」 (2003)橘 玲 幻冬舎 「コトラーのマーケティング・コンセプト」(2003)フィリップ・コトラー 東洋経済新報社 公益社 営業システム 東京都生活文化局ホームページ Special thanks to |