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日本初のお墓のプランナー
死にまつわるデス・ケアサービス
葬送アドバイザー
(株)加藤組 石匠あづま家
代表取締役社長
聖徳大学短期大学部 助教授
明治大学商学部 講師(非常勤)
 
   
1953年10月12日茨城県に生まれ、3歳まで石の里の笠間市稲田で育つ。3歳より日本最大の墓石小売業者が集まる都立八柱墓園で育つ。
世界30ヵ国を旅し、お墓の比較研究をし、アメリカのお墓大学を卒業。墓石・霊園行政研究、文化人類学的視点で比較研究すると共に、個人のお墓の霊園設計・納骨堂設計等ライフプランニングのアドバイザー(コーディネーター)を務める。
   

 世界約30ヵ国の「墓」研究を始めてはや十六年を迎えた。とはいえ最初から「墓」を研究テーマにした訳ではない。短大、四大、大学院を通して専攻したのは、日本近代文学。文学と宗教(キリスト教)を中心として、卒論はそれぞれ堀田善衛、遠藤周作、そして修論は正宗白鳥だった。「死をいかに越えるか」の問いは、「人生如何に生くべきか」に通じていた。明治大学大学院在学中(昭和50年代)は、日本は好景気で産業は右肩上がり。戦後一貫して「死が目かくし」された時代の中で、私の研究テーマは実にマイナーであった。しかし、少子・高齢社会の現代、「死」は身近な自分自身のテーマとなり、解決しなければならない問題となったのだ。  
 さて、20代の私が何故「死」をテーマに選んだかの種明かしは簡単だ。私が東京都立八柱霊園門前の石屋(石匠あづま家)の三代目に生を受けたからだ。女二人姉妹の長女。毎土日、子供の頃から七万基の墓地の門前三十九軒の石屋にあふれる喪服の遺族を見慣れていた。小学生の頃から春秋の彼岸の墓参客にお茶を出し、花線香を売っていた。

美しいガーデニングの墓(ベルリン)
そんな自分が不思議に思え、「死」から遠ざかろうとして、文学の世界、大学で研究者を目指した。しかし研究テーマは、他人と全く異なっていた。1986年、(社)全日本墓園協会・欧州墓園視察団に参加した時が、三十四歳。ヨーロッパで、死者と生者が語り合える都市計画の中心に置かれた墓地に心から感動し、今の道にのめり込んだ。

壁型墓地と墓石群(フィレンツェ)
「まさか、大学ではお墓を講義してないでしょ」と、よく言われる。しかし、実は「お墓」の講座を六年前から開講している。SOA(聖徳大学オープンアカデミー)―生涯学習講座―で、「二十一世紀のお墓はこう変わるパート1〜4」「女性のためのラストステージパート1・2」がそれだ。無料講座ではなく勿論有料。リピーターも多く、6回〜10回が一講座で、最後の1回は現地見学ツアー付である。
見学は、文学散歩的な夏目漱石の墓、青山墓地、雑司ヶ谷、八柱、多磨等、東京都立墓園の、明治・大正・昭和の文化財的な墓地ツアーから、女性達だけのグループの永代供養墓、新宿曙町の水の苑等新しい形態の墓地までバラエティに豊んでいる。
 受講生は、圧倒的に40代、50代、60代の女性達。この六年間に「墓」=墓石、建墓や墓園選びの興味から、両家墓、改葬(お墓の引っ越し)シングルのお墓問題、散骨、永代供養墓、樹木葬への関心、夫との意見の対立の調整方法、介護、終末医療、葬儀、遺される家族や友人に向けてのお墓に関する遺言、メッセージの残し方等へ移行してきた。
 「死者」が安心して死ねない時代なのだろう。「自分らしい死」を自分でアレンジしなくてはならない現代。団塊の世代が五十代を迎え、ニューフィフティの時代となった。死を生と同様に軽んじ、情報をクローズしてきた戦後の日本の「ツケ」とも言える。逝く側も、送る側も学習が必要な時代なのだ。欧州のように癒しの空間がある「墓所」で憩える未来でありたい。
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