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 かつて東京などでは葬祭業者のことを「棺屋」と呼んでいた。棺は葬儀の際に最低限必要なものである。東京でも昭和40年代までは、棺を自作していた業者がいくつもあったという。現在、棺といえば遺体を横たえて入れる寝棺が普通であるが、かつては座棺の方が一般的であり、沖縄や千葉などでは膝だけを立てて入れる半寝棺もあった。
 明治期の葬儀の様子について記した『東京風俗誌』でも棺について以下のように述べている。
 「棺は貴きは二重棺を用ふ、多くは木製の長方形なる寝棺なり、下れるは単なり、また略ぼ方形の立棺を用ふるもあり、陶瓶を用ふるもあり。賎きは早桶または桶棺とて、竹箍を以て結へる桶を以てす、甚だ粗末なるものなり」
 これによると柩はまず寝棺と座棺に区別され、寝棺も二重棺と単の棺があり、座棺も材質によって方形の木棺、陶器の甕棺、早桶(桶棺)などに分かれていたという。
 当時、寝棺は社会的地位の高い人が使用し、特に二重棺は高級なものであった。二重棺の内側の棺は遺体に触れるので「お肌付き」ともいう。明治末期になると裕福な商家などでも二重棺を使用しており、東京のある商家では、明治41年の葬儀で、内箱は8分(2.4センチ)厚の椹材、外箱は1寸2分(3.6センチ)厚の樅材を用いており、相当なものであったことが窺える。
 
「東京風俗誌」平出鏗二郎
1971(1901)
下の巻(復刻版)原書房より
 また座棺も四角い方形だけでなく、地方によっては六角のものもあった。和歌山県古座町でも六角の棺であり、シニスン(死にすん)といって高さ二尺四寸(72センチ)で、板厚は4分(1.2センチ)である。また甕棺も各地で使用されており、九州北部では昭和50年代まで生産され使用されていたという。早桶は時代劇でもなじみがあるが、ランクとしてはもっとも下の葬儀となった。
 『東京風俗誌』で述べているように、明治期の東京では高貴な場合には寝棺を用い、桶は最も賎しいものとされていた。棺の種類とそれを用いる死者の社会的な身分が密接に関連していたことがわかる。
 ところで現在では、寝棺のなかに専用の布団や枕を使っている。つまり死者は横になって眠る形になっているが、こうした形式になったのは近年のことである。かつて座棺の時には、死者は死装束をつけ、そこに膝を抱いて座らされており、布団を掛けるようなことはなかった。あくまでも旅支度をしてあの世に旅立っていくのであり、眠るという発想はなかったのである。そのため寝棺でも、底にはマコモのござなど座るための敷物を敷いており、そこに直接遺体を横たえていた。
 しかし横たえるということから専用の布団が用意されるようになり、死者は寝棺で眠るという形式になった。つまり死者はあの世に旅立つよりも永遠の眠りにつくということが強調されることになる。こうした発想は、あの世の存在を信じられなくなってきた現代の観念とも関係があるのであろうか。

和歌山県古座川町にて
座棺を埋葬する様子
   
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