香典は香奠ともいい、仏事においては香を献ずることから、香華の料として亡くなった人に供える金銭や物品のことをいう。現在では香典というと現金だが、かつては金銭よりも葬儀に用いる食品、なかでも米を供える地域は多かった。近親の人はその関係に応じて多額の香典を負担するが、これは米などの食品も同じであった。とくに米の場合、一俵香典といって俵で供える慣習が関東、中部、九州など各地でみられる。
例えば千葉県銚子市小畑町では、亡くなった人の子供はそれぞれ現金のほか、「荷代(にだい)」として米を一駄(米二俵のこと。かつて馬で二俵ずつ運んだため)、兄弟などは米を一俵などと大量の米を供える。そして俵を祭壇脇などに飾って喪家(葬儀を出している家)の偉容を誇ることもあった。
その一方で村内ではわずかではあるが一定額の香典を家々から集めることがある。これも金銭だけでなく米を集める場合も多く、前述の小畑町の場合、地域の人々は「叺(かます)」といって米を二升持ってきた。
葬儀では近親の人々は死の忌みのため何もせず籠もっているものとされ、地域の人々が葬具を作り、火葬や土葬を行うなどして実務を担っていた。こうして多くの人手を必要としたため、食品の調達はもっとも重要であった。
死の忌みを重視する地域では、近親者の大量の米は忌み籠もるための食料。そして忌みに関係のない地域の人々は、近親者と同じ火で調理した食品を食べると死の忌みを受けるため、手弁当として少量の米を持参し別の火で調理した。一方、死の忌みとは関係なく参列者すべてに食事を提供することが、死者の供養となると考える地域もあり、その素材として大量の米が供えられ、消費されたのだ。
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左下に積み上げられているのが供えられた米
(新潟県相川町'97・12月)
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親類による香典開き
(新潟県相川町 '97・12月)
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いずれにしてもこうした食品や現金が葬儀を支えることになり、喪家に蓄えがなくとも集まった香典により葬儀を出すことが出来たのである。香典は義理という地域もあるように、受けた義理は相手の不幸の際、同じように返すことが期待された。そのため代々の香典帳を保存し後の参考にしたのである。
香典に対する返礼は相手方への香典によって返されたため、香典返しは特に行われなかったようで、せいぜい施行(せぎょう)として食事やまんじゅうなどの菓子が提供された。現在でも京阪神で葬儀で配られるハンカチや商品券を「粗供養」というのは、そうした施行の慣習からであった。
しかし、葬儀における施行的な要素は無駄なものとして簡略化されがちであった。また都市部では、相手の葬儀があったときに相応の香典を出すことが難しく、香典をもらったままで借りを作ってしまうことも起きてきた。そこで金額に合わせて香典返しをすることで、義理を精算し将来の借りをなるべく負わないための現代社会的対応がなされたと考えられる。ただしすべてを返しては好意を無にするということから、半返しという便法が広まったのであろう。 |