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809(?)〜?
六歌仙、三十六歌仙の1人。「小野氏系図」によると出羽郡司小野篁の孫という。仁明天皇の更衣として宮中に仕えた小野吉子と同一人物だとされるが、その詳細は一切不明。
「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」。平安時代に活躍した女流歌人、小野小町。これほど有名な人物にもかかわらず、その生涯は大きな謎に包まれています。今回は、日本全国に伝わる小野小町の伝説にその足跡を訪ねます。
 小野小町といえば、「楊貴妃」「クレオパトラ」と並んで世界三大美人に数えられる絶世の美女。小野貞樹や僧正遍昭ら一流歌人との相聞歌が数多く残されていることからも、彼女がいかに当時の男性から人気があったのかを知ることができます。
 小町にまつわるエピソードとして最も名高いのは、深草少将との悲恋物語でしょう。華やかな宮中を去って、京都山科の小野郷と呼ばれる地に隠棲した小町。
 彼女に思いを寄せる深草少将は、小町のもとに百日通うことを決め、千里の道を遠しとせずに雨の日も雪の日も出向いては、小町の家の軒先に榧の実を置いて誠意の証としていましたが、九十九日目の雪の降る晩、ついに力尽きて死んでしまうというもの。有名な百夜通いのくだりです。
 深草少将との恋に破れた小町は傷心の旅に出たというのですが、実はその後の彼女の足どりはさっぱり分かっていません。小町の伝説はそれこそ、東北から九州まで全国津々浦々まで伝わっていて、それぞれにもっともらしいお墓や史跡を残しているのですが…。さて、小野小町終焉の場所とは一体どこだったのでしょうか。
 「吾死なば焼くな埋めるな野に晒せ痩せたる犬の腹肥やせ(私が死んだら、野にさらしてお腹をすかした野良犬の餌にでもしてくださいな)」。これは京都・市原の里に伝わる小町辞世の句とされています。流浪の果てに洛北の地にたどり着いた小町。ふと井戸をのぞくと、骨と皮ばかりにやせ衰えた自分の容姿が水面に揺れています。彼女は老いの悲しみに身もだえしながら、井戸に身を投げたというのです。
 もう一つ、丹後大宮の五十河地方も小町最期の地として有名です。天橋立に向かう途中、病の床についた小町。彼女はここで力つき、里人たちに看取られて亡くなります。伝わる辞世句は「九重の花の都に住まわせではかなや我は三重にかくるる(花の都に住んだ私なのに、ついにこの三重の里で隠れて亡くなるのだわ)」。
 一方、比較的信頼できる『冷泉家記』などによると、小町は京都府井手町にあった井提寺別当の妻となり、幸せな晩年を過ごしたとも記されています。いずれが真実なのか、千二百年を隔てた現代では知る由もありませんが、彼女の清らかで優美な歌が今も私たちの心に生きていることだけは確かなようです。
 

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