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Column #2 ≪常寂光寺≫
京都の中でも特に四季の移ろいを鮮やかに感じることが出来るのは、嵯峨野であろう。近年観光客が増えるにしたがって、竹林の小径も「閑けさ」を愉しむのは一苦労なのだが、何時訪れても美しい景色に出会えることに変わりはない。「ここの山は季節に合わせて化粧をするさかいに」と誰かが言った。
さて小倉山に溶け込むかのようにしてそっと佇むのが「常寂光寺」である。慶長元年(1596)日蓮宗大本山本圀寺16世の日襯(にっしん)上人が隠棲した庵を寺院に改めたところにはじまっており、百人一首の撰者である藤原定家の「時雨亭」があった場所といわれている。常寂光寺の名は日蓮宗の教義にある地、「静寂の常寂光土を思わせる」ところから名付けられた。
運慶作と伝えられる仁王像を後にし、伏見城の遺構である本堂、妙見堂、重要文化財の多宝塔を急斜面に息を切らしつつ見る。振り向けば嵯峨野の風景を一望にすることが出来る。
そういった見学コースを外れて、「女の碑」への道しるべがある。「女ひとり生き ここに平和を希(ねが)う」と刻まれたこの碑は、1979年、当時参議院議員であった市川房枝の名の下に建てられた。第二次世界大戦で200万人を超える男性が戦死し、その半分が未婚のままという陰で、独身のまま生きることを余儀なくされた女性も多数いる。同じ境遇の戦争独身者が思いを結んだ「女の碑の会」(代表:谷嘉代子さん)の記念碑である。「女の碑」の後ろ、生垣を隔てては彼女たちの共同納骨堂である「志縁廟」が建てられており、「女の碑の会」の会員は「血の縁」ではなく「志の縁」のもとに建てられた墓に共に眠ることになっている。世間の冷ややかな目もあって、女性独りで生きて行くことがまだまだ難しい時代において、懸命に自らの手で人生を切り開いてきた彼女たちは、独身者の切実な悩みである終の住処もまた自分達の手で用意したのである。
「女の碑」は戦争を2度と繰り返してはいけないという戒めであると同時に、社会環境や家族形態が変化し、地縁や血縁が古くから担ってきた役割をもはや果たせなくなっている現在において「それらを見直す時期にきている」のではないか、という提案を我々に投げかけているようにも思える。
常寂光寺には寺を囲む塀が無い。自然そのものとも言えるこの寺が、思い以外のしがらみ無く静かに眠ることを願う彼女たちに選ばれたのは偶然ではないだろう。
≪ 碑文の全文を記す ≫
1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあって、それらの若者達と結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は五十万余ともいわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
今、ここに、ひとり生きた女の“あかし”を記し、戦争を二度と繰り返してはならない戒めとして後世に傳えたいと切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場ともなることを期待します。
この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。
碑文揮毫 参議院議員市川房枝
一九七九年一二月 女の碑の会 |
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◆常寂光寺◆
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場所:
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京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3 |
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交通:
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●京福電鉄「嵐山」下車 徒歩約25分 |
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●阪急嵐山線「嵐山」下車 徒歩約35分 |
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●JR京都駅から京都バス、市バス28 |
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●四条河原町、京阪三条から市バス11 |
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各バスで、「嵯峨小学校前」下車 徒歩約15分
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| 拝観時間: |
9時〜17時 |
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